秋刀魚離れ
秋になると、スーパーに並ぶ魚の顔ぶれをつい覗いてしまいます。昔はそこに必ず、銀色に光る秋刀魚が箱いっぱいに並んでいて、値札も手頃。庶民の味として「今日は秋刀魚にしようか」と気軽に言えたものです。
子どもの頃、七輪の上で焼かれる秋刀魚の煙と匂いは、まさに秋そのものでした。大根おろしを添えて、しょうゆをひとたらし。ほろ苦い内臓まで食べられるようになった時、「大人になったなあ」と感じた記憶も。
しかし今、同じ光景はなかなか見られません。
並んでいる秋刀魚は細身で、値段は昔の倍以上。家計を考えれば、ついサバやアジに手が伸びてしまいます。魚焼きグリルを使うのも面倒だし、若い世代はそもそも「秋刀魚を焼く」習慣そのものを持たないのかも。
さらに言えば、居酒屋の季節メニューに秋刀魚が登場することも稀になりました。かつては「秋刀魚の塩焼き」が定番の一品で、ビール片手にそれをほぐすのが秋の楽しみだったのに、最近はすっかり姿を見なくなりました。魚の価格が高く、サイズも揃わないのだから、店側も扱いにくいのでしょう。
気がつけば、私たちは秋刀魚から離れつつあります。理由を挙げれば、資源の減少、価格の高騰、食の多様化……いくらでも並べられます。けれども本当は、それ以上に「食卓や居酒屋の風景が変わった」という事実が大きいのだと思います。
それでも、秋の夜にふと風が涼しくなった時、鼻先に焼き魚の香りが漂ってきたら、やっぱり秋刀魚を思い出します。食べる機会は減っても、秋刀魚は心の中で「秋の象徴」として生き続けています。
「もしかしたら、これからは『特別な日の秋刀魚』になるのかもしれない」
そう思うと、次に買う一尾は、昔以上に大事に味わいたいと思います。(F.F.)









